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「栄光のチームバチスタを壊したのは誰か」 [医療]

  我々の医療制度は「よくできています」。完全に平等とまではいいませんが、非常に安い保険料で24時間サービスが利用可能になっています。そのことを日本国民は知りません。まさかアメリカ?いやイギリスでさえ、大変なのに比べて「劣っている」なんて考えていないですよね。

 映画「チームバチスタの栄光」の原作者の海堂尊先生が医療について語ってます。ちょっと長文になってしまいますが、引用させていただきます。

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2008.01.31【海堂ニュース! 12】映画『チームバチスタの栄光』について
http://tkj.jp/kaidou/news01.html

(前略)

 この映画は誠実に、作品の一番の魂を実写化してくれている。ですからこの映画は間違いなく、『チームバチスタ』の血脈です。そしてこの映画は市民のみなさんに、問いを突きつけているのです。「栄光のチームバチスタを壊したのは誰か」
 それは、必要な時には頼るくせに、必要がなくなると無関心に事態を座視している市民の皆さんです。予告編では竹内さんと阿部さんがスクリーンの観客に向かって、この謎を解くのはあなた、と指さしました。あれは実は、犯人はあなた、とみなさんを指さしていたのです。この映画は、初めの予告編から正々堂々とネタばれをしていた、というわけです。
 医師の増員を、医療費の増額を、医療現場は求めています。通常の医療を行うためには、これは必須の手当です。そしておそらく、市民もそれを望むことでしょう。となると当面のわかりやすい敵は、医療費を抑制している財務省の人々、あたりでしょうか(笑)。
 市民社会の敵は、みんなではっきり認識しましょう。
 官僚は「医療費亡国論」という論陣を1983年に打ち、その基本方針を四半世紀経った2008年の現在も堅持しています。私は彼らに言いたい。人々が病んでいるなら、医療費で亡国したっていいじゃないか、と。市民ひとりひとりが幸せに暮らせるように、そのために我々は税金を収めているのではないか、と。
 人々を救う医師が、多少ゆとりのある生活を送れるように制度設計するのは、当たり前の社会の義務ではないでしょうか。その費用は、賄賂にまみれた官僚のトップ事務次官に払っていた給与よりは、社会的にははるかに妥当な支払いのはずです。官僚は、汚職まみれの自らの組織を自浄しようとしないくせに、医療事故調査委員会の設置などという、医療現場の自浄作用を強制しようとしている。モラルの高い集団、医療が、モラルの低い集団=官僚組織から指導を受けるというエキセントリックな国、それが現在の日本のいびつな姿なのです。そしてメディアはその言葉を無批判に垂れ流すことで、その傾向を助長している。
 たとえば、 朝日新聞は1月28日の社説で、「医療の平等を守り抜く知恵を」なる中で、「医師は毎年四千人ずつ増えているが、人口千人あたりの医師は二人で、このままいくと先進国で最低になる。医師の要請には10年かかる。早く取りかからなければならない」といいながら、それに対しては何の保証もせず、「医師は収入が高く、社会的な地位も高い。たとえ公立病院に勤務していなくても、公的な職場だ。自由に任せていては、医師の偏在は解消できない」として、「診療科ごとの養成に大枠を設ける。医師になってからは一定期間、医師の少ない地域や病院で働くことを義務づける」ということを、「希望社会への提言」として上げています。
 だが、メディアはかつて、新医師臨床制度が施行されたときに、医師が自由な意志で研修することを素晴らしいことだ、と賛美していました。新医師臨床制度を容認したのであれば、上の論調は無責任です。上記のような調整機能を果たしていたのが、メディアが悪者視していたかつての大学病院の医局でした。その医局制度を古めかしい組織だと攻撃していたのが、かつてのメディア報道の基調だったはず。このようにメディアは自己検証をせずに無責任な発言をし続けている。
 今の医療の大問題のひとつは地域偏在です。その傾向を極度に推進したのは、官僚が推進した、新医師臨床研修制度なのです。
 1月30日付け朝日新聞朝刊一面では、「開業医再診料下げ断念、医師会の反発を受け」と報じている。まるで、開業医を悪者扱いです。勤務医が激務で低い賃金だから、儲けている開業医から回すべきだ、というこの考え方は、かつて大学医局が悪い、とステレオタイプで断じたメディアと本質は何も変わらない。解決策は簡単で、開業医への支払いはそのままで、勤務医への支払い増を行うべきです。勤務医の初診料を開業医なみに引き上がればいいのです。医療費抑制という大前提に疑問を呈さないから、このような議論になってしまう。だけどこんなことをやっていたら、今度は、開業医が医療現場を逃げ出すでしょう。逃げ出したくなくても、良心的な医療をしていると儲からないので、潰れてしまい、結果的に退場することになります。医療を内部分裂させ、弱者にして虐めるのは、もうヤメにしませんか? その結果、市民の皆さんが困ることになる、ということに、まだ気がつかないのですか。
 記事はいいます。「外来の初診料は勤務医570円に対し、開業医は710円。患者は自己負担が少なくて済む病院を選ぶ傾向が強まり、勤務医の過重労働につながっているという批判がある」。この議論に従うならば、勤務医の外来初診料を710円にあげて水準を合わせる、とすれば、勤務医の負担を減らす同様の効果があるではないですか。初診料というのは、弁護士で言えば、コンサルタント料に相当します。たった710円を惜しんで、医療の低水準化に拍車をかけるのは、「安物買いの銭失い」になりかねません。
 厚生労働省は、勤務医不足対策の必要財源を1500億円と試算したそうです。どうして、役人の天下り法人のバカ高い費用を削りそれに充てるという算段ができないのでしょう。どうして医療費の内部でやりとりしなければならないのでしょう。お年寄りの人口が増え、医療費は自然増して当たり前。それなのになぜ、官僚は医療費の抑制に走っている自分たちの根本政策が悪いと気がつかないのか。そして優秀であるはずのメディアがなぜ、こんな簡単なことを指摘できないのか。

 医療を不当にいじめ続け、官僚たちの不適切な医療行政を座視し続ければ、結局そのツケは市民のみなさんに戻ってきます。たとえば地方医療が崩壊したのは、まさに無責任な医療行政の、中途半端な介入のせいです。今や事態は絶望的にすら見える。
(後略)

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 ちょうど「ガソリン国会」でこういう文章を日経ビジネスオンラインがのっけていました。もっとも、「専門家」の声など、お構いなしに道路建設のためにガソリンの税金を続けることに専念している与党はもう少し未来について考えるべき時代ですね。

 ちなみに、

<自治体病院>累積赤字1兆8585億円 財政圧迫を露呈

 という数字があります。もちろん、誰も問題視していませんが、これって深刻ですよね。道路のために2兆円以上のお金を毎年使うことは「社会整備」に本当に必要なのか?もうちょっと考えて新聞社もマスコミも報道して欲しいですね。

 すくなくとも3社共同サイトをみましたが「餃子」一色の記事が並んでても・・・ちっとも真新しいことではないですし、「道路」と「病院」のように本当に大切なニュースから目を遠ざけるようなことしていませんかね?。

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 【宮田秀明の「経営の設計学」】

道路予算は地方を救わない

今こそ“麻薬”中毒の苦しみから抜け出す時

2008年2月1日 金曜日宮田 秀明

 国の将来が危ういというのに、国会では給油や道路が主要テーマになっている。国民は呆れ返っているか、諦めているかのどちらかに違いない。為政者のいない時代になってしまったようだ。

 国の経営を、論理に従って清々粛々と行うのが為政だと思う。しかし国会では、論理のよく分からない議論が横行している。例えば福田康夫首相の「地域の自立・活性化や国民生活に必要な道路整備を実施するため、暫定税率は今後10年継続しなければならない」という説明は論理的に正しいのだろうか。

 道路を整備することが、産業にどのような直接的効果をもたらし、市民にどのような間接的効果を及ぼすのかを試算して数字で示すことが求められる。さらにその効果は、この予算を別の事業に用いた時の効果と比較し、優劣判定を行ったうえで政策を選定するのが論理的な為政である。

 予測が入るので、数字で表現するのは易しいことではない。しかし、できないわけではない。もし官僚や経済学者にできないのなら、民間シンクタンクや私たち理系の大学人に任せてはどうだろう。

 道路特定財源の暫定税率分の年間2兆6000億円という金額は、国の教育関係予算の3分の2に相当するほどの額だ。それなのに、道路投資かガソリンの値下げの2つの選択肢しかないというのでは議論がお粗末すぎる。道路には政官業癒着が強いことも、現代日本では公共投資の効果が低くなっていることも、もう共通認識になっている。もっと議論が交わされて新しい政策が提示されるべきだ。

(中略)

 山道だけではない。農道整備はもっと進んでいる。農道の総延長距離は約18万キロに達していて(高速道路は約9000キロ)、日本列島を端から端まで40往復できる長さだ。道路は日本中、津々浦々に整備されている。

 道路が増えてくると、建設費よりもメンテナンス費が増えてくる。作った道路を廃止することはできないから、今後もそれぞれの道路を延々とメンテナンスすることになる。

 この仕組みで増え続ける財政負担は税金で賄うしかないから、言ってみれば道路予算は地方公共団体にとっても国にとっても一種の麻薬のようになってしまう。早めに一度苦しんで中毒から抜け出さなければ、日本の公的部門の病は、どんどん進行するのではないかとさえ思う。

 そもそも“道路行政”と考えること自体が間違いと考えるべきだろう。道路ではなく、交通・輸送・環境の行政テーマと考えるべきだ。道路はそのための手段にしか過ぎない。

 交通輸送の施策とは、単に道路を作ってメンテナンスするだけではない。バス専用道路は日本にもあるが、そのほかにも、米国のロサンゼルスで行われているカープール制(2人以上乗っている車しか通れないレーンを設ける)やシンガポールの交通規制、カーシェアリングといった、ハードウエアではなくソフトウエアによる改良改革もある。このような施策には、予算の後年度負担がない。

いま進めなければならない6つの改革

 かつて橋本龍太郎内閣は6つの改革を打ち出した。行政改革、財政構造改革、金融システム改革、年金や保険などの社会保障構造改革、経済構造改革、教育改革である。2兆6000億円は、このような6つの改革に寄与するように使うべきだ。

 橋本内閣以来、ずいぶん時間が経ったが、どの改革も遅々として進んでいない。まるで日本の行政は牛歩戦術を使っているかのようだ。暫定税率分の国費を、今まで通り道路に使うのでは、改革を行わないと宣言しているようなものだ。

 こんな状態が続いて世界が見放せば、“時代の流れに目をつぶり、道路を作り続けて衰退していったバカな国”として歴史に残ることだろう。


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 道路をまだ必要としているのか、病院が大切なのか?本当に「考えて」欲しいですね。

ぽち

  なかのひと 



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コメント 1

mosriteowner

おじゃまいたします。

 海堂先生はイイ話を御自身のページに書かれているんですね。多くの方が読んでくれることを期待します。

 道路について。
 言い得て妙ですね。「麻薬のよう」だと。一度つくったらやめられない。ほっとくことができない。
 道路が必要か、医療が必要か。これは自明だと思うんですが。皆自分が入院するなり通院するなりしないと考えないんでしょうかね。
by mosriteowner (2008-02-03 05:52) 

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