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[プロ意識ゼロの物書き屋]量産型王子にコトー医師 [マスコミ]

さてと、まずはやわらかいところから・・・参りますか?

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話題沸騰!これが“タイのハニカミ王子”だ

07/18 12:26
“タイのハニカミ王子”ことタイのポップス歌手、アイス・サランユー(22)が、9月5日にアルバム「ICE」で日本デビューすることが17日、分かった。さわやかな笑顔と初々しい雰囲気が、史上最年少で国内ゴルフツアーを制した石川遼選手(15)に似ていると話題沸騰。都内でサンケイスポーツの取材に応じ「遼くんと一緒に頑張りたいです」と“同志”とのさらなる飛躍を誓った。

 例の「ハンカチ王子」に「ハニカミ王子」…、型にはまったように何でも「王子」。あふぉか…。君らは文章を書くことでお金をもらっているのだろう・・・みっともない。そろそろ、こういう紋切り型の記事を垂れ流すのは、そろそろ止めにいないか?  

 

 まぁ、個人的にはこの歌手、タイでめちゃくちゃ流行っていたので、知っていますし、友人がはまっちゃうくらいPVはよく出来ていますが・・・【タイポップスのCD屋の解説】によれば『タイのスター育成テレビ番組「First Stage Project」の第一期生「Ice」』であり、どこにもプロ野球もゴルフも関係がない。

  しいて言えば、モーニング娘。と同じようなアイドル誕生番組経由のデビューである。そういう意味ではこの記事には「不自然さをともなった作為」を感じるし、最近のように量産されている、日本の王子サマとはまた別個のモノを、わざわざ日本の石川亮選手を交えて、事実を歪曲しているように感じます。

↓動画
Ice - Khon Jai Ngai  
↓ICE Sarunyu 日本語サイト 
http://icesarunyusite.web.fc2.com/content.html
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   マスコミが美談が好きなのは、今に始まったことじゃないので、今回はあえてそこは、攻撃しません。ただ、この医療崩壊と紙一重の状況を、「通り一遍の美談」で済ませるあたりは、何だろう?あなたたちの仕事は戦地に赴いた戦士を美化することに専念した戦前時代のプロパガンダ屋と一緒だね。

 もしも、医療崩壊に対する危機意識があるのなら、こんな漠然とした美談に終わらせず、こういう最前線で働いている医師が休暇が満足に取れているのか?病気で入院したりした場合、代役が確保できているのか?そういうのって報道する価値はありますよね。その文言は一切ありません。善意万歳、都市部の医師は彼らを見習うべき?

 戦争賛美に突っ走った過去をキレイに拭い去ったこの新聞社に限りません。  ちなみに本家はキレイに消し去られていましたのでウェブ魚拓です。
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我が町の「コトー先生」
朝日新聞 2007年07月18日
 崩壊の危機にある過疎地医療に手を差し伸べるため、あえて地方にこだわって診察を続ける人たちがいる。加速する高齢化で医療ニーズが高まっているのに、担い手不足から十分な診療態勢が確保できない。そんな「命の地域格差」は食い止められるのか。離島で、山間部で、そして震災の地で、地元に溶け込んで活躍する医師たちを追った。
◆子どもと会話が流儀 兵庫
 「ご飯しっかり食べてるの」「おもちゃで遊んでる?」。子どもに直接話しかけるのが、河原浩二郎医師(38)の「流儀」だ。4月末、兵庫県上郡町の鞍居(くらい)診療所に赴任。専門の小児科、内科、アレルギー科の診察を始めた。
 診療所は前任の医師が病気で退職し、1年7カ月間休業していた。河原医師も妻も兵庫出身。それまで三重県の小児科クリニックで働いていたが、故郷で仕事をしたいと考え、応募した。
 クリニックでは1日100人を診察することもあったが、患者1人につき、せいぜい5分しか診られない。今は1日15人程度で、1人に20分はかけられる。過去にかかった病気を聞き取り、気をつける点などもゆっくりと話せる。「時間的にぜいたくな治療ができる。親と子、孫の3世代を診ることもあり、生活習慣も含めてしっかりと話ができる。診察の原点に戻れたようです」
 赴任して間もなく、高齢の患者が河原さんの勧めで総合病院の検査を受け、早期のがんが見つかった。「医療レベルでは大病院にはかなわない。自分は1番バッターとして、後につなぐのが仕事」。同じ患者を長く診て、話すだけで病気がわかるような名医になりたいと願う。
◆被災民を支え続ける 石川
 能登半島地震で深刻な被害を受けた石川県輪島市門前町の開業医、宮丸冨士雄さん(81)を訪ねてくる被災者が後を絶たない。住民たちの訴えには、自宅の再建をどうするかなど、医療以外のものも含まれる。
 地域にいる開業医5人の中で最年長。輪島市と合併する直前の旧門前町長も務めた。「患者がいる限り頑張りたい」と、現役の笑顔を見せる。
 激しい揺れに襲われた3月25日は、所用で金沢にいた。翌日、町に戻ると風景が変わっていた。生家は全壊。隣接する築約50年の自宅や木造2階の医院は倒壊を免れたが、院内では土壁が落ち、医療器具などが散乱して足の踏み場もない状態だった。
 それでも、次の日には震災で薬を失った患者が来院。片づけに追われながら、1週間後には診察を再開した。高齢の自分でも頼りにされている、との思いが支えになった。
 「震災がなければ、今頃は医師をやめていたかもしれない。ただ、命にかかわる仕事だけに、やめる判断を間違えてはいけない」
◆島民215人の健康守る 高知
 高知県宿毛市から定期船で1時間半。県の西端に浮かぶ沖の島にある「へき地診療所」では、4月に赴任した宮崎修さん(29)が、島でただ一人の医師として全島民の健康を守る。
 年間を通してダイビングや磯釣りを楽しむ人が訪れる自然豊かな島。かつては漁業で栄え、1955年ごろの人口は3000人近かったが、今は215人。半数は高齢者だ。患者の多くは高血圧や糖尿病などを抱える。
 診療所ではできることも限られ、治療のために島を出る人も少なくない。「島でずっと暮らしたい」。そんな島民の気持ちにどう応えていくか、悩むこともある。
 妻と生後6カ月になる息子とともに暮らす。慣れない島での暮らしで、家族に負担をかけていると感じることもあるが、「診察に時間をかけ、患者さん一人ひとりの家庭環境や生活も知って治療にあたりたい」と願っている。
 「無理せられんよー」。診察を終えた高齢者に優しく声をかける宮崎医師の存在そのものが、島民の安心につながっているようだ。
◆生活の改善へ料理リハビリ 徳島
 西日本第2の高峰、剣山のふもとにある端山診療所(徳島県つるぎ町)は、お年寄りを対象に「料理リハビリ」を実践している。診療を終えた約10人が、所長の十枝紀巳代(とえだ・きみよ)さん(66)考案のメニューを作る。
 元小学校教員。36歳で医学部に合格し、医師の道を歩んできた。患者の大半は80歳以上。病状を診るだけでなく、生活全般を改善する「包括ケア」にこだわった。そこで思いついたのが料理リハビリだった。
 塩分を控えめに栄養バランスにも気遣う。1食200円。十枝さんを囲んで談笑しながらの食事も楽しみの一つだ。食べ残しは容器に入れて持ち帰る。10年前に脳梗塞(のうこうそく)になったという80代女性は「家にこもって死ぬつもりだったけど、ここに来て体が動くようになった。今は料理が楽しい」。
 町は赤字を理由に、診療所を3月限りで閉院する予定だった。だが、患者の強い要請もあり、十枝さんと町が月1万円の賃貸契約を結んで存続にこぎつけた。「患者とじっくり向き合いたい」。10年前、この地にやってきた時の思いは一向に衰えていない。
◆陸の孤島 奮闘の毎日 奈良
 紀伊山地の奥深い場所にあり、「陸の孤島」と自らのホームページで表現する奈良県十津川村。琵琶湖とほぼ同じ面積の日本一広い村に住む4500人を、歯科を除けば公立の2診療所と1医院の計3人の医師が支える。
 深い谷に面した小原診療所の医師、巳波(みなみ)健一さん(38)は4月、へき地や離島の医師を確保するため、自治医科大から派遣された。妻と2人で週に1回、約100キロ離れた同県橿原市まで食料を買い出しに行く生活にも慣れてきた。
 1日に50~80人を診察する。「患者が列を作って待っている時に急患が来ると、もうパニックです」。診療態勢はパンク寸前だ。
 65歳以上の高齢者が約4割を占める村では、思うように外出できないお年寄りも多く、往診の需要は高い。ただ、車で片道1時間半かかる場所もざらで、午後3時半の診療終了後だと1軒がやっとだ。
 それでも、往診に行くと患者の生活環境が把握できる。「気持ちも通じるようになるんです」。深緑の山道を走る日が続く。
◆温かい住民に囲まれ 和歌山
 和歌山県白浜町の温泉街から、川沿いの山道を車で1時間弱。瓦ぶきの「川添診療所」に勤務する中川武正医師(60)は、4月に川崎市の聖マリアンナ医科大から赴任してきた。
 医師が大勢いる大学病院とは事情が違う。「医師としてすべてを任されている」。専門はぜんそくやアレルギー。着任後すぐ、犬にかまれた患者がやって来た。
 医学生時代に読んだ1冊の本が忘れられない。ドイツ人医師、シュバイツァーのアフリカ滞在記「水と原生林のはざまで」。原住民の医療に携わった筆者の姿に、「医療を必要としている人のための手助けがしたい」との思いを強くした。
 昨年8月、知人の医師の紹介で妻と診療所を見に来た。「ここだ」。山の緑と水の清さを見て直感した。「住民も温かく、日本の原風景がある」。定年まで5年。退職を決めるのに時間はかからなかった。
 「地元の人たちに感謝されると、来て良かったなと思う。キャリアの締めくくりをここで迎えたい」

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  ところで、大淀町立病院や大野病院で産科を一人で続けてこられた先生方は「医療を必要としている人のための手助け」をしていなかったのでしょうか?その医師をたった一度の医療事故で、医療現場から立ち去らせ、地域医療の崩壊に大いに貢献したマスゴミ。

 恥もなく、こういう記事を量産するマスゴミの稚拙さ、低脳さぶりに脱帽です。うち、医療事故の報道が少ない日経新聞しかとってないんだけだけど、こういう記事が垂れ流されるようなモノ、取るの止めようかな。ぽち→ 



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