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GJ!!>朝日新聞 耕論「救急医療を救うには」 [医療]

 今日の朝日新聞の「耕論」はよく出来ていました。

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 きちんとしたお話を厚生労働省の方や、救急医療の現場の先生からそれぞれお話を聞いて、その中で今の『救急医療』のあり方を問うやり方、すばらしいです。



 「医師不足への国の認識不足は甚だしい。国は06年、産科、小児科、麻酔科は医師不足と認めた。だが、救急の専門医は2700人で、その5分の1から半分しかいない。試算では、最低限の態勢でも専門医は今の倍は必要」な状態でがんばっている現場はもう疲労困憊だという杏林大学の島崎修次先生

 『「死の迎え方」考えよう』というER都立墨東病院の浜辺祐一先生。そして「この10年で救急搬送の数が300万から500万人へと増えたが、大半が「軽症」である」と指摘されており把握していると思われる、厚生労働省の佐藤敏信医政局指導課長の「病院のミスマッチ」など、みなさん、この問題に真摯に取り組んでおられるのだと思いたいです。



 もっと国民の希望する「安全」な医療のためにはマンパワーと医療費が必要だということがわかってほしいです。



 国民のみなさんにわかりやすい記事ありがとうございます、他のマスコミの方も、これからも「日本の医療」をどうやって守っていくか?考えてもらえるようなきっかけになる記事を、よろしくお願いします。ぽち

  なかのひと 

ps:そんでも今日のA新聞は「中国の人権活動家逮捕 妻も軟禁、乳児と2カ月疲労濃く」2008年03月02日


 中国の著名な人権活動家・胡佳氏(34)が公安(警察)当局に逮捕されて2カ月。国際社会の関心が集まっている。このほど、北京市内の自宅で生後3カ月の長女・謙慈ちゃんとともに軟禁されている妻・曽金燕さん(24)にメディアとして初めて面会し、監視下の厳しい生活ぶりを聞くことができた。」もあってなかなか読みごたえありました、さすが人権無視の国、中国やなぁ・・・でしたw。



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耕論 救急医療を救うには(1)
2008年3月2日 朝日新聞

搬送先がみつからない。救急の看板を下ろす病院も相次ぐ。危機に立つ救急医療を、どうすれば崩壊から救えるのか。

医師の激務 見合う報酬を
島崎 修次さん 杏林大教授
ー40年生まれ。日本救急医学会監事。日本救急医療財団理事長として、救急の向上を目指し提言を続ける。

 救急車の受け入れ先がなかなか見つからず患者が亡くなるケースや、担い手不足で救急の看板を返上する病院が相次ぎ明らかになっている。救急医療は崩壊寸前だ。
 こうなったのは、そもそも救急医療は人もお金もかかり不採算なもの、ということが十分理解されていないからである。救急医療は、水や安心、安全と同じ国民生活の基本だが、水と同じくタダ同然と思われている。医師や看護師の確保には費用がかかるのに、国は診療報酬を引き下げてきた。
 不足の患者に対応するのが救急。予定が立つほかの診療科とは全然違うシステムで動く。24時間365日救急を担おうとすれば、休みを考えると最低5人医師が必要だ。救急に全診療科の医師を置こうとすれば、大変な人数になる。その負担を減らそうと思えば、すべての症状に対応できる救急専門医を置けばよいが、彼らも最低5人はいなければ回らない。だが、その数に見合った患者が来なければ不採算になる。そんな数の専門医を置く病院はほとんどない。
 救急搬送はどんどん増えているのに、かつかつの態勢。現場は深刻さを増している。典型的な10ヵ所の救命救急センターで働く人の勤務実態を調べると、救急医は平均週77時間労働で、月の休みは2.1日、免疫力も落ちていた。限界だ。
 しかも、当直代は平均1万円で20年前と同じ。時給換算では600円台になる。10倍以上にして、医師個人が報われる形にならないと。寝ずに働いていても、それに見合う評価がなければ、だれも救急をやりたくなくなる。
 医師不足への国の認識不足は甚だしい。国は06年、産科、小児科、麻酔科は医師不足と認めた。だが、救急の専門医は2700人で、その5分の1から半分しかいない。試算では、最低限の態勢でも専門医は今の倍は必要だ。
 大学の講義でも、学生には救急医療の厳しい現状をきちんと伝えた上で、進路を選んでもらうようにしている。途中で燃え尽きるのはかわいそうだからだ。医師が志を抱いても、環境や収入、生活の質を理由に挫折していうのは、医療システムが悪いとしかいいようがない。
 日本の医療はこれまで、個人負担が少なく、いつでも受診でき、医療の質が高いという三つが成立してきた。医療費は国内総生産の8%で、04年は経済協力開発機構(OECD)30カ国中21位。それでいて医療の質と満足度では世界トップだ。成り立たせて来たのは医療関係者の努力に尽きる。
 コストとアクセスと医療の質。この三つをともに満足させることは不可能だ。米国オレゴン州の医療保険の管理部局には「この三つのうち二つまでなら選ぶことができる」と書かれた額がかかっている。米国の医療費の高さはよく知られているところだ。
 関係者の努力頼みでは、ひずみが出る。その中で一番疲弊しているのが救急だ。今のままでは医療の質が犠牲になる。手術をすれば数%は助かるかもしれないケースでもやめておこうとか、手のかかる小難しい処置はやめておこうとかになりかねない。
 もっと救急にお金が回る仕組みが必要だ。医療を受ける側の国民も厳しい現実を理解してほしい。
 (聞き手・重誠紀元)





耕論 救急医療を救うには(2)
2008年3月2日 朝日新聞

「死の迎え方」考えよう
浜辺 祐一さん(都立墨東病院・救命救急センター部長)
ー57年生まれ。85年から同センター勤務。「救命センターからの手紙」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。

 墨東病院は、重篤患者を治療する「救命救急センター」と軽症まで幅広く診る「ER」を備えているが、近年、いくつもの病院に受け入れを断られた末、運び込まれる救急患者が目立つ。
 
 東京や大阪などの都市部では、重症に対応する2次救急病院が以前ほど患者を受け入れられなくなったためだ。2次といっても大半は夜間や休日、宿直医が1〜2人で急患に対応、手術に必要な麻酔医もいないのが実情。「レントゲンを撮れない」「訴訟リスクがあり専門外は無理」と、救急に消極的になっている。
 その結果、救命センターがいっぱいになり、本当に重篤な患者を断らざるを得なくなっている。負の連鎖だ。
 
 救命センターの負担が増えた原因は、ほかにもある。高齢化社会になり、療養病床の現象、在宅医療の促進で、自宅や老人ホームなどの施設から搬送される高齢者も増えた。本来、突発の患者に備える救命センターで収容するのは疑問に思う例もある。
 
 救命センターの現場にいる者として、国民一人ひとりに考えてほしいのは「死の迎え方」だ。墨東病院に搬送される心肺停止患者は年間約600人。そのうち9割以上が高齢者で、末期がんや高齢者施設で意識が混濁した「大往生」と呼ぶべき患者も多い。
 
 東京では、心肺停止患者に対して救急車を呼べば救命センターに運ばれ、心臓マッサージ、人工呼吸、薬剤投与などの蘇生処置へと突き進む。
 家族は「親が倒れたのに、病院にも連れて行かなかった」という状況を受容できない。高齢者施設も「満足な医療を受けさせない」と評判が立てば死活問題になる。人での少ない2次救急病院も「処置不能」と断る。だれもが死に責任を持てないために、救命センターで体をチューブだれけにして高額の医療費をかけ、どう見ても生き返らない患者の蘇生に努力する。
 
 医療技術や機器の進歩で延命は可能になったが、こうした高齢者は生き残ったとしても意識が戻るわけでなく、大半が医療が不可欠な状態のままとなる。家族から「こんなことを頼んでいない」となじられることもある。そうした患者の転院を受け入れる医療機関は少なく、行き場のない患者が救命センターのベッドを埋めてしまう。その結果、救えたはずの患者を断らざるを得ない事態に陥っている。
 
 大げさに言えば、いつか入院中の患者を除けば日本人はすべて救命センターで死ぬのではないか。膨大な救急のスタッフと医療費が必要となるが、現実的ではない。一般の病院でみとられる選択や自宅で静かに最期を迎える死もあり得るだろう。患者や家族、医療者の間に健全な死生観が醸成されてほしいと願う。
 
 救急医療に対する政策誘導は不十分だ。国は救命センターの整備や診療報酬の増額に力を入れてきたが、2次救急病院の育成も重要で、こうした救命センターの後方医療機関の整備も手厚くすべきだ。
 
 現在、地域の中で救急患者の流れを制御する責任者がいない。2次救急病院や救命センターが責任を持つ地域を明確にした上で、地域を統括する救急ディレクターを置き、住民や医療機関同士が救急体制について話し合い築いていく仕組みが必要だ。軽症患者は初期救急機関に必ず行くといったルールを作るには、まずこうした仕組み作りが欠かせない。
 (聞き手・龍沢正之)





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